創作…平易に書くという事について。

言葉を選ぶ時に、使いたい言葉や言い回しが、時々、今のゆとり教育を受けて来た人たちに、果たして通じるのか?
という不安が頭を掠めます。
 
では、なるべく平易な言葉や言い方に置き換えた方が良いのか。
 
どうしても、代替出来る言葉が浮かばない場合は、前後の文章ごと書き直すか、それとも、そのままにするか。
それは、伝えたいたい事を含むか否か、その重みがどの程度かにもよりますし、話の雰囲気にもよります。
 
願わくば、知らない言葉は自分で調べて、自分の中に蓄積を増やして欲しいと思うのですが。
生きた文章の中で、活用されているのを読み込まない限り、たとえ、その単語を知っていても、自分には使いこなせない、或いは間違った用法をすると思うので。
 
私自身も、言葉が浮かんだものの、用法に関して心許ない場合は、辞書で調べ直します。
語彙の不足を痛感する時、或いは知識不足を痛感する時には、学生時代に、もっと本を読んだり、調べたりと勉強しておけば、詰まる事がもう少し減っただろうなと、少々情けなく思ったりもするのですが。
 
平易に書く事も、容易くないと思っています。
ですから、平易に書く事は悪い事ではないとも。
 
でもそれは、書く人それぞれが選べば良いことで、平易に書く「べき」と押し付けられる事ではないと思います。
書き方も、書く内容も、書くスタイルも、人それぞれなのですから。
そして、それによって、読まれたり読まれなかったり、歓迎されたり敬遠されたりは、その書き手自身に帰結する事ですし、それによって、次をどうするかも、書き手自身が決めれば良いことだと思ってます。
 
ですから、平易に書いてないからと言って、頭から否定されるべき事ではないと思うのです。
平易に書いてないという事で、損をするなのはその書き手なのですし、問題があったとしても、それもまた書き手の財産になりますから。
失敗を知らないより、知っている方が、知識や対処の幅が広くなるのは道理だと思いますし、無駄にしなければ、自分の経験値の財産になると思っていますので。
 
平易に書くか否かは、常に考えてはいるのですが、結局のところ、先ずは自分の書きたい言葉で書くのを優先していますね。
それは、個性に繋がる大事な部分だと思っていますから。
 
ただし、これらの事は、あくまでも、まだまだ文章で書くことを勉強中の、アマチュアである私が書いている作品を前提にして話していますので。